『世界見て歩き』は、1990年代後半~2000年初め頃の学生時代の旅の記録が主な内容となっています。情報は古く、内容も青臭いですが、思い出に残してあります。写真は、当時フィルムカメラで撮影していたので、少ない枚数の中から選んだものです。日付入りだったり、そうでなかったりしますが、どうぞご了承ください。

マレー半島鉄道の旅3

Traveled in: 1997年 02月

タイとマレーシアとの国境の手前、ハジャイに到着しました。ハジャイを歩いているとマレー系の人々や華僑経営の商店などもあって、タイとのお別れを感じます。ほこりっぽさにやられて宿に戻ると、かび臭くて、おまけにシャワーがこわれていました。がっかり。

20081015-malay11.jpg
ポーズをとってくれたマレー人

パダンプサル駅でタイからマレーシアへと国境を越えました。あまりに簡単にすんだので、拍子抜けしてぼんやりしていると、向かいに座っていた上品な紳士が、読んでいた英字新聞をくれました。お礼に、ごまとお砂糖をからめたお菓子をあげました。しばらく世間話をして、これからイポーに行くと告げるとタイピンがおすすめだと言います。いいと言われれば行ってみたくなり、列車の中でチケットを買いなおしました。乗り換えの駅で、マレーシアに来たんだから「ナジゴレン」が食べたいと思い、近くのホーカースに座りました。辛すぎず、優しい味のナシゴレンに大満足して、ふと時計を見ると時差を調整していないことに気が付きました。と、いうことは1時間遅れていたから……。慌てて駅のホームに戻ったのですが、遅かったです。駅員さんは「あーあ」という表情で「イポー、タイピン方面は夜の10時までないよ」と教えてくれました。こんな、何もないところで、半日どうしろというのだろう。そういえば、さっきまでいっぱいいた大きなリュックのバックパッカー達の姿も見えません。がっくりしていると、バスのエンジン音が聞こえ、すぐ横にバスターミナルを見つけました。すがる思いで、タバコを吸って一服している運転手のおじちゃんたちに訊ねると、ちょうどイポー行きが出発するところでした。タイピンには縁がなかったんだとあきらめて、小さなバスに乗り込みました。思いどうりにならないことがあっても、旅の途中ではそれを受け入れる余裕があります。じたばたしなくなります。そういう、自分の一面を発見しては驚きました。

20081015-malay09.jpg
イポー駅

20081015-malay10.jpg
駅の上にある素敵なお宿

イポーでは泊まりたいところがありました。イスラム建築のイポーステーションホテルです。かわいくて、キュートで、南国のお花がいっぱいのお部屋にふつりあいの小汚い私でしたが、そのラブリーな雰囲気がすっかり気に入りました。バスタブにお湯をたっぷりとはって、のんびりと疲れを癒しました。お風呂はやっぱり、いいな。

20081015-malay08.jpg
夕飯前にカレー味のロティを味見しました。薄いクレープ生地を器用に焼くおじさんをしばらく眺めていました。毎日、何枚ぐらい焼くのだろう? そして、メインにはやっぱりボリュームのあるものをと注文したのは「ミーゴレン」です。「ナシ」でも「ミー」でもゴレンはおいしいですね。

20081015-malay12.jpg
シンガポールへ入ると、時間の流れ方が急に早くなったようで、なんだかそわそわしました。アラブストリートやサルタンモスク周辺をぶらついてイスラム教の雰囲気にどっぷりつかったかと思えば、リトルインディアではヒンズー教一色です。とても小さな範囲にまったく異質の文化が共存しているのですね。

20081015-malay13.jpg
美術館に入ってみました

そしてj空港では熱く語るシンガポール人の青年と出会いました。これから東京に遊びに行くのだそう。そして、その後は軍隊へ入ることが決まっていると言いました。この義務がまったくいやじゃないと言うから驚きました。走るのも、ガンの練習も楽しみにしている彼は「日本の男は、もし戦争になったらどうするのか? すべて自衛隊まかせなのか?」と、とても不思議そうでした。「自分が強くなるのは、万が一の時にガールフレンドや家族、そしてこの国を守るためだ」と力説する彼の話を聞いていると、なんだかとても怖くなりました。そして、もしそうなったら誰が私を守ってくれるのだろう? と心配してしまいました。旅の終わりに衝撃的な会話だったけれど、マレー半島鉄道の旅は空気も人々も食べ物もすべて熱気がありました。